「吉見光の子モンテッソーリ子どもの家」は、キリスト教保育と、モンテソーリ教育という2本の柱を根底に、日々歩んでいる園です。 では、キリスト教保育と、モンテッソーリ教育とは何か? 一般的な保育と何が違うのだろうか? と、思いますよねー。「キリスト」という名前はよく聞くけれど、「モンテッソーリ」という耳慣れない言葉は、一体何? と、思うでしょう?  「モンテッソーリ」は、イタリア人の女性の名前です。20世紀初頭(1900年代)、マリア・モンテッソーリによって考案された教育法が、モンテソーリ教育です。1907年貧困層の保育施設を初めて作ったとき、「子どもの家」と名付けました。それ以後、モンテソーリ教育実施施設を、「子どもの家」と言うようになりました。

キリスト教保育と、モンテッソーリ教育2つの大きな共通点は、大人中心の教えではなく、子どもが主役になって自らの力で基本的な要求を満たしていけるように、「お手伝い」するというスタンスでいることを念頭に、その力が、子どもたちの中に存在することを信じて、援助していることと、言えると思います。

 

さて、2021年も残すところ、3ヵ月になってしまいました。感染対策として、登園自粛期間が続いている昨今ですが、6月19日(土)と、9月6日(月)、8日(水)、9日(木)の4日間、「モンテッソーリのお仕事」の園内研修が行われました。そこで行われた内容と、彼女のメッセージを、少し紹介出来たらと思います。

 

6月の研修は、土曜日に年長児の親子を招き、実験(⁈)に参加してもらいました。副園長が講師になり、子どもたちの前に座り、何やら準備を始めている時から、子どもたちの目は、興味津々の眼差しで、「この人は、いったい今から何をしようとしているんだろう?」「この先生は、これから何を僕たちに伝えてくれるんだろう?」という感じで、集中して見守っていました。 実験は、実際に目の前で、「見る」「触れる」という体験形式で進まれて行きました。

今回のテーマは、5歳児対象の「地球の歴史」「生命の歴史」に関する実験と考察という大きな目標を持っていました。実験は、1人ひとりの手に、氷を手渡し、しばらくしてから、何を感じたか?発表する体験から始まり、「星の衝突と爆発」「火に手を翳す」「ビンの中にたまご」「軽いものから順に砂の上へ」「容器が大きいほど火が消えるのが遅い」「水蒸気が雨になる」などを、お父さんたちにもお手伝い頂きながら、地球が出来るまでの歴史を体験しました。熱い’火’に実際に手を近づけたりする場面では、ちょっと、ハラハラして見ていた私でした。でも、子どもたちの集中力は、スゴイ。いつもボーっとしている私とは違って、全く心配いりませんでした。この毎回の「お仕事」が、卒園まで繋がったプログラムになっていることを、初めて知りました。後で、何でこのプログラムのことを『お仕事』というのか?‐主任に尋ねてみました。英語で、“お仕事ご苦労さま”“よくできたね”“がんばったね”を「good job(グッジョブ)」と、言いますよね。このジョブ(仕事)と同じことだよと、『「大人が仕事をして、生計を立て、生活するのと同じように、子どもも、自分ひとりの力で、生活できる力を養うため、自分を成長させる為」の「仕事」である。』と、副園長のお話でした。

SちゃんRくんのパパは、                                                                    砂の入った容器に大きさと重さの違う玉を埋め、                                                       左右に振っていくと、どうなるのか?をやっています。

 

 

Aちゃんのパパは、
細いフラスコの口からゆで卵を、
入れようと試みているところです。

 

 

9月の研修は、職員のみで、資格を持った先生を講師に、月、水、木、の3日間、昼13時半からランチルームに集まって、2時間ずつ分けて行われました。  1日目は、触覚(円柱差し)、視覚(ピンクタワー)、聴覚(雑音筒) という3つの演習をやりました。それぞれの感覚を使って、形の違い、大きさ、音の違い、大きいから小さい、小さいから大きい、順番があることを、触って、見て、聴いて、感じ取るという、どれも日常の子どもたちの遊びの中や、玩具を通して体験している内容でした。

2日目は、生活に密着した演習((絨毯の巻きのばし)(靴磨き)(お茶のサービス)の3つでした。これは、どれも各国の文化が、それぞれに反映され、「いかに美しく見せるか」 自分以外の他者を思いやる「おもてなし」の精神が培われていくようです。大人である先生が、子どもたちに美しい言動や、美しい所作の見本を見せ、「アイコンタクト」で、子どもに目線を送り、繰り返し、意識して身に着けられるように教えていました。他者へのおもいやり、「綺麗だね」と思える気持ちを、子どもと一緒に共感できる内容でした。

 

3日目は、精神的な内なる自分の気付き、心を対象にした(静粛の遊び)という演習から始まり、人類の歴史を、具体的な教具を使って目の当たりにする(地球の時計)からの(生命の歴史)という壮大なテーマへと移って行きました。自己から他者、他者からまたその先の、見えないものの存在、宗教まで繋がっていくという難しいテーマでしたが、それは、大人よりも子どもたちの方から、それを知りたいという根本的な欲求があり、要求してくるものだと知りました。

講師のM先生のお話に、集中して耳を傾けている先生たち

 

地球上に生まれた微生物から、人類に進化するまでの遥か長いながい道筋を目の当たりにし、とてもそれが進化してきたとは思えないほどの長い歴史は、現代人の私からすれば、進化などではなく、初めからその「かたち」があったのではないか、とさえ思ってしまいます。それが、M先生のおっしゃる「我が物顔」の人類の姿なのだろうと思いました。スリッパで、′ペシャンッ!’と、潰されるあのG君(ゴキちゃん)なんか、地球の歴史から見れば、みなさんより大大大先輩なんですよね!

私たち大人からすれば、小さな子どもたちは、まだ小さいんだから分からないし、見えていないし、聞こえてもいないだろうと、思ってしまうことが多いと、思います。でも、0歳児であったとしても、実は見ています。逆に赤ちゃんの方が、その影響があるのかもしれません。周りの環境の一部として行う毎日の大人の所作が、今は影響ないだろうと思っていても、後になって、その子が同じことをしているのを見たとき、その影響力を侮ってはいけないと、改めて思い知らされる未熟者の私でありました。(”美しい言動や所作の見本”を子どもたちに見せていかなければ・・・と、)

人は、独りでは生きられませんが、最終的に一人で考え、一人で選び、一人で判断し、目に見えないもの(神)の存在に気付き、一人で近づき、歩いてゆかなければならない時が来る、「だから、それを手伝ってね、」という基本的な要求が、子どもたちの中には、存在すると、モンテッソーリは言っています。 ”面白い遊びや玩具で遊んでいる時に見せる喜びとは違う「こころのよろこび」という精神的な、内的な発達の為の援助を与えてほしいと、子どもたちの方から要求しているのだ” とも彼女は、言っています。その為に、自分と向き合える、その子に合った静かな環境を見つけ、整えてあげることが必要なのだそうです。

 

― 以上が今回園内研修で、私が感じた「モンテのお仕事」から学んだ内容と、彼女からのメッセージでした。

では、また、何かお伝えしたい事があったらお知らせいたします。 ―                           よっちゃんでした。